昭和の伝説的アイドル、西城秀樹が亡くなった。63歳という早すぎる死を惜しむ声は高く、彼の輝かしいステージでの姿が、連日テレビで放映されている。
彼の死を悼み、また功績を称えるコラムや記事がメディアを賑わせている中で、似非ライターである筆者が今更彼についての想いを書き綴るのもオコガマシイが、きっともうこの先機会も無いと思うので、彼についての思い出話しを書いておこうと思う。
YOUNG MAN (Y.M.C.A.)にまつわるエトセトラ
彼の訃報を伝えるニュースで知ったのだが、彼がリリースした楽曲の中で、最も売れた楽曲はYOUNG MAN (Y.M.C.A.)だそうだ。
HIDEKI NHK Collectionダイジェスト.
筆者は正直、この曲がキライだった。
幼少の頃見ていた西城秀樹は、新御三家の中でも愁いのあるロック調の曲を多く歌っていて、長髪細身なルックスでエモーショナルな表情をしながら派手なステージングをする彼を見て、幼いながら「ロックスター」的な格好の良さを感じていた。
その彼が突然、ド派手なアメリカ柄の衣装を着て幼児番組で見る様なアホみたいな振付と共に「Y.M.C.A.」と満面の笑顔で歌う姿を見て、軽く失望したのをよく覚えている。
E-girls / Y.M.C.A. (E-girls version)
更にその子供じみた「Y.M.C.A.」の振りは大流行となり、小学校の運動会にも採用され「Y.M.C.A.」がなんなのかもわからないままアホみたいな踊りを強要され、光化学スモッグにまみれた砂の舞う熱い校庭の思い出と共に、苦い記憶として刻まれることとなった。
大人になり、往年のディスコミュージックに触れる中でヴィレッジ・ピープルについても知ることとなり、あの当時Y.M.C.A.を日本語でカバーした西城秀樹とIn The Navyのカバーで「ヤリたくなったらやっちゃいな♪」と衝撃的に歌ったピンクレディーの功績により、世界中で日本だけが「野獣先輩」的なヴィレッジ・ピープルに特別な親しみを持つ事になったのは間違いないだろう。
Village People / IN THE NAVY
歌謡曲における日本語カバーの味わい
現在ではカバー曲といっても、洋楽に日本語歌詞を乗せて歌う事はほとんどなくなったが、80年代くらいまでは海外でヒットした楽曲の歌詞を日本語に変えて歌われる事は良くあった。
洋楽にかぶれていた若い時分には、洋楽を日本語で歌い直すのは何とも”ダサい”と思っていたが、歳を重ねるにつれ洋楽に日本語詞を乗せる妙技の味わいを感じられるようにもなった。
有名なところでは郷ひろみの「ゴールドフィンガー」や荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」も洋楽の日本語カバーであり、今でも多くの人に親しまれている歌謡曲は多い。
荻野目洋子/ダンシング・ヒーロー
西城秀樹も「Y.M.C.A.」をはじめ多くの洋楽ヒット曲を日本語で歌っていたが、その楽曲のチョイスには彼の音楽的素養の高さが感じられ、洋楽ロックファンの琴線に触れるものだった。
西城秀樹が示したロックスターの格好良さ
元々、西城秀樹は幼少期にはジャズドラムをやっていて、その後70年代初頭のロックムーブメントに触れ、伝説的な1969年のウッドストック・フェスティバルに感銘を受け、ジェフ・ベックやレッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックスなど聴いて育ったらしい。
デビュー当時のタイトな衣装で派手なステージアクションをする彼の姿は、正にロックスターのそれだったのだろう。
Led Zeppelin – Immigrant Song
当時は洋楽と邦楽の間には大きな隔たりがあり、テレビで歌謡曲を楽しむほとんどの人は「洋楽」など聴かない中で、世界を席巻していたロックムーブメントの主役である「ロックスター」のイメージをお茶の間に届けた功績は大きい。
だから、西城秀樹にはミックジャガーやロッド・スチュワート、ロバート・プラント、マークボランなどのロックスターに近しいイメージがあり、XJAPANのYOSHIKIやROLLY、吉井和哉、甲本ヒロトといった筆者と同世代のロックアーティスト達は彼にリスペクトを示すのだろう。
お茶の間にヘヴィメタルを持ちこんだ「ナイトゲーム」の衝撃
西城秀樹のWikipediaにも記述があるが、筆者と同世代のヘヴィメタルファンであれば、西城秀樹がグラハム・ボネットのソロシングル『Night Games』の日本語カバー「ナイトゲーム」を歌った衝撃をおぼえている人は多いだろう。
ヘヴィメタル黎明期、絶大な人気を得ていた元ディープパープルのギター” リッチー・ブラックモア”率いるレインボーの2代目ボーカリストとして世に出たグラハム・ボネット。
Rainbow / Monsters of Rock 1980
その彼が、ヘヴィメタルにそぐわないルックスの所為か、アルバムを1枚リリースしただけでレインボーを追い出され、当時レインボーと同じくらい人気の高かったB’z松本孝弘が敬愛するマイケルシェンカーグループに加入するまでの約1年の間にリリースしたのが、件の楽曲「Night Games」である。
そう、この楽曲は非常に”マニアック”な曲なのである。UKチャートでは6位をつけたそうだが、世界的なヒットと呼ぶには程遠い、知る人ぞ知るハードロックチューンなのである。
Graham Bonnet / Night Games
それを西城秀樹が取り上げカバーしたことで、お茶の間のど真ん中に当時のロックファンの間で盛り上がりを見せていた「ヘヴィメタル」が持ちこまれたのだ。
この”事件”はWikipediaに書かれている通り、洋楽すら聞いた事が無い歌謡曲ファンに「ヘヴィメタル」を紹介し、多くのヘヴィメタルファンを目覚めさせた。その一人が正に、筆者自身でもある。
21世紀の現在、BABYMETALが「アイドルとメタルの融合」のパイオニアの様な顔をしているが、西城秀樹が既に35年も前にやっていたという事を記しておきたい。
最後に、ロックの格好良さを教えてくれた西城秀樹に「ありがとう。」と心から伝えたい。