2017年の紅白において初出場で紅組トップバッターを務め、全国にあまねく存在を知らしめたLittle Glee Monsterの3rdアルバム「juice」が1月17日にリリースされる。
2018年、さらに大きく認知を拡げ存在を示していくであろうLittle Glee Monsterの最新アルバムは、昨年大ヒットしたドラマ『陸王』の挿入歌としてヒットした「Jupiter」やアニメのOP/EDに起用された「だから、ひとりじゃない」「OVER」など既に馴染みのあるシングル曲を含め13曲が収められている。
芸能の「あるべき姿」を示すLittle Glee Monsterの優位性
Little Glee Monster(リトグリ)はソニー・ミュージックレコーズとワタナベエンターテインメントの共同企画により、「世界に通用する女性ボーカリストの発掘」を目的としたオーディションの合格者によって2012年に結成し、その活動を始めている。
Little Glee Monster / OVER
大手レコード会社と芸能プロダクションが、とにかく「歌唱」に特化させた若いグループを世に送り出すことは、芸能における一種の「自浄活動」とも思えるもので、リトグリが支持を拡大するのは納得が出来るし、日本芸能界の希望とも思える。
Little Glee Monster / 放課後ハイファイブ(デビュー曲)
そもそも、一芸に秀でた者がステージに立つから「芸能」が成り立つのであって、ステージに立つ資格が無い者が一人前の「芸能人」に育っていく姿を見せて支持を得る、いわば「成長ストーリー」が織り込まれた現在のアイドルブームなどは、本来であれば「邪道」と言えよう。
だいぶ古い話ではあるが、リトグリが所属するタナベエンターテインメントの親会社で、昭和の芸能界において多大な業績を残した渡辺プロダクションの最初期を支えたザ・ピーナッツなどは19歳でデビューした時から圧倒的な歌唱力とハモテクニックを備えていた。
The Peanuts / The Peanut Vendor
その後登場するキャンディーズやピンクレディーなど、グループであればハモリコーラスなどステージに立つ上での基本条件であったが、いつしか当たり前は当たり前では無くなってしまった。
リトグリが「芸能」において「本来あるべき姿」を示している事は、そのままリトグリの優位性に繋がっている。つまり「邪道」が蔓延しているほど、リトグリの持つ「歌の力」は際立つのである。
リトグリを取り巻く環境と試練
順風満帆にも見えるリトグリであるが、懸念が無い訳ではない。2017年は目標としていた日本武道館単独公演を成功させるも、グループにおいてメインパートを多く担っていたメンバー麻珠が脱退してしまう。
それでもリトグリは紅白の舞台を務め上げひとつ壁を乗り越えた様に思えるが、エンターテイメントニュースやファンの間では、殊更メンバーのビジュアル面について取り沙汰されることも多い。
これはメンバーがまだ若く、見た目にも好奇の対象となる魅力を持っている為とも言えるが、日本においてエンターテイメントを受け取る側のレベルが低いことを物語っているようにも思う。
それぞれの歌唱力と、それらが合わさったハーモニーによって聴くものを惹きつけるボーカルグループに、なぜ「メンバーカラー」など必要なのか?今ではあまり見られない様だが、ライブにペンライトなど持ち込まれることもあるようだ。
Little Glee Monster / 好きだ。
それは、今彼女達の人気を支えている若年層ファンの音楽体験が少ないゆえだろう。リトグリは、そのコンセプトも将来性もアイドルタレントとは別物であるはずだ。にもかかわらず、取り巻く環境に合わせてアイドルグループ然とした扱いをされているのであれば、やがてその乖離はジレンマとして大きくなっていくだろう。
これは「運営が悪い」「メディアが悪い」「ファンが悪い」という話で解決はしない。
リトグリ自身が沢山のステージを経験する中で、そのパフォーマンスをさらに向上させ「歌声の持つ力」で圧倒し、自身が望む未来を切り開いていかなければならないのだと思う。
アイドルであれば、成長するにつれ「太った」だの「劣化」だのと姦しい中傷に晒されるが、リトグリは若いボーカルグループだ。ステージを重ねるごとに経験を蓄え、その歌声に磨きがかかるだろう。
昨年、30周年を迎えたコーラスグループ「アマゾンズ」などは、リトグリのロールモデルとなるのかもしれない。
AMAZONS / Precious Melody
リトグリにも、これから先20年30年と活動を続け、円熟した圧倒的な歌唱力とパフォーマンスを届けつづけてくれることを期待している。