シンガーソングライター新山詩織による初のベストアルバム『しおりごと-BEST-』が、1月31日にリリースされた。
17歳のメジャーデビューから5周年を記念してリリースされたこのベストアルバムは、数々のアーティストとの共演や、TVドラマへの出演、楽曲のタイアップ起用など幅広い新山詩織の活動の軌跡が詰まったアルバムになっている。
新山詩織を取り巻く贅沢な環境
新山詩織は若干16歳でビーイングオーディション2012においてグランプリを受賞し、翌年の2013年「ゆれるユレル」でメジャーデビューした。
新山詩織 / 「ゆれるユレル」ティザー映像
現在までにシングルを9枚、アルバムを3枚リリースしている。サウンドプロデューサーとしてCharaを迎えた最新シングル「さよなら私の恋心」を除くすべてのシングルは、いずれも何かしらのタイアップソングとなっている。
新山詩織 / さよなら私の恋心
シングル以外にも、映画『古都』エンディングテーマとして起用された中島みゆきのカバー「糸」や、『冬スポ WINTER SPORTS FESTA 16』の公式テーマソングとなった「Snow Smile」、日本財団『子どもサポートプロジェクト』のCMで話題となったKANのカバー「愛は勝つ」など、とにかくタイアップが多い。さすが腐ってもビーイングである。
新山詩織 / Snow Smile
そんな手厚いプロモーションをされている新山詩織だが、その存在感のある声と圧倒的なタイアッププロモーションとは裏腹に、リリースされたシングルは同年代のシンガーソングライターである藤原さくらや井上苑子に比べて今一歩振るわない状況である。
今どき、シングルのランキングなど気にすることでもないが、ベストアルバムを飾る様な会心のヒットと呼べる楽曲も無く、一連のギター女子ブームの中でも「新山詩織らしさ」というものが表わされていないような気がする。
衰勢したビーイングのパブリックイメージに囲われる新山詩織の個性
90年代に一世を風靡したビーイング所属のアーチスト達のヒットは、そのほとんどがCMやメディアでタイアップされており、当時のビーイングを代表するZARDなどは、メディアにはほとんど露出しないながらも、歌だけは良く耳にするという状況を作り出し空前のヒットを生み出している。
ZARD ALBUM COLLECTION MEDOLEY
そんなビーイングのオーディションによって、言わば”発掘”された若い才能である新山詩織は、デビュー早々にビーイングの庇護の元でアーティストとして活動を続けているが、そのパブリックイメージは、非常にビーイング的だ。
いやビーイング的というか、早逝したZARDの坂井泉水が持っていた、芯のある女性らしさ、媚びることなく自立している爽やかさを持った女性らしさを踏襲している様に思う。
しかし、新山詩織は若干21歳である。デビューした17歳から21歳といえば最も多感な時期だと思うが、新山詩織のパブリックイメージはこの5年間ブレることなく均一化されている。
試しに、画像検索で新山詩織と同年代のシンガーソングライター、井上苑子、藤原さくらの両名のピックアップされる画像を見比べて欲しい。新山詩織の検索結果はほぼ変わらない髪形、シンプルな服装で、元々表情が乏しい事も相まって、まるで「人形」の様に見える。
彼女はアイドルではなくシンガーソングライターなのだから、見た目は多少”アレ”でも別にかまわないと思う。本人の意思でそのスタイルなのだとしたら大きなお世話であろう。
しかし、事務所の意向でパブリックイメージを固められているとしたら、「あたしはあたしのままで」と歌う彼女との間に齟齬は生まれないだろうか?
まだ見ぬ新山詩織の可能性
現在のギター女子ブームを先駆けたYUIは25歳の時に「YUI」としての活動を辞めてしまっている。
YUI / Green a.live
彼女が活動休止した理由は心理的なものだったが、その要因の一つに所属事務所がディレクションするパブリックイメージとの乖離があったとも言われている。
新山詩織のシングル曲の多くはミディアム~スローなナンバーが多いが、自身はルーツとしてThe Birthdayのチバユウスケの名を挙げており、ブルースロックやガレージロック、パンクなども聴いてきたという。
これはロック好きである筆者の趣味趣向によるものかもしれないが、テレキャスターを担ぎ歌う新山詩織のロックナンバーは、アコギを抱えボソボソ歌う新山詩織より数倍魅力的に見える。
新山詩織 / 現在地(THE GROOVERSカバー)
新山詩織はその歌声もアーティスト性も非常に高いポテンシャルを持っている。筆者が世界で一番「カッコいい女性」だと信じて止まないThe Pretendersのクリッシー・ハインドのようになってもらえると個人的には嬉しい限りだ。
デビューして5年、新山詩織はまだまだ「こんなもんじゃない」気がしてならない。