AngeloとPIERROTのボーカリストとして活動しているキリト。
彼が約10年ぶりにソロ活動を行うことを発表した。
ファンクラブイベントを除けば、2007年8月に発売されたアルバム『Negative』以来の正式な活動となる。
今回のアクションは「唄」にフォーカスしたものとなっていて、2018年1月28日(日)には東京・ディファ有明にて<KIRITO Acoustic live 18’「DEEP PARCEPTION」>と題したアコースティックライブを行う。
ファンが待ち望んでいた「キリトのソロ」が、再び始動するのだ。
私がキリトのソロを避けていた訳
ピエラーであることを自負していた私は、キリトのソロを聴いたことがない。
それはなぜか?
これは当時のPIERROTの活動状況にも関係してくる話なのだが、とにかく「怖かった」のだ。
当時PIERROTはメンバー間がギスギスしており、まるで倦怠期の夫婦のような空気を漂わせていた。
ライブではピエラーにいい顔をしてくれるが、実際のメンバー同士の仲はファンには見えない。
それでも「どことない座りの悪さ」が伝わってくるという有様だった。
活動休止をして、その期間メンバーは各々ソロ活動をすることになった。
そしてそれが引き金となってバンドが決裂した、と見ているファンは多いだろう。
実際キリト自身が解散後のインタビューでそのようなことを言っている。
となると。
怖いじゃないですか。
私はキリターではなかったので、キリトのソロにはそこまで興味がなかった。
それが、「興味がない」から「怖い」ものに変わってしまった。
私の中でPIERROTの解散というのは、青春に無理やり終止符を打たれたのと同じだった。
恐ろしいものからは目を背けたかった。
恐怖から「感動」へ
DICIDE
これはPIERROT解散が発表された年のキリトソロ曲である。
テイストはしっかりPIERROT時代のものを残しつつ、歌詞は希望に触れるかのような内容となっている。
正直、聴くのがずっと怖かった。
それでも聴こうと思ったのは、この記事を執筆するからというのもあるが、キリトに対する信頼があった。
「彼ならきっと、全てを肯定してくれる」と。
「その胸に未だ辿っている 変わらない残像は
いつまでも愛していいから 少しだけ瞳を開けて」
まさに現在の私を指し示している歌詞で、ハッとした。
そうか、キリトはずっとファンに誠実であろうとしていたのだ。
それに気づいて、今このタイミングで聴いてよかった。
二度目の復活〜救世主になぞらえて
2006年4月に解散したPIERROTは、2014年10月に「DICTARS CIRCUS FINAL」にて復活した。
2017年7月には、DIR EN GREYとの対バンイベント「ANDROGYNOS」にて、また復活した。
つまり、二度復活を果たした。
もともとPIERROTの描いていたストーリーは新約聖書に似ていて、「世界の始まりと君と僕」を主題としている。
二度復活したといえばキリストだろう。
そして、キリトのソロ活動も二度目なのである。
救世主(メシア)の復活とまでは言わないが、この二度目のソロ活動にはおそらく大きな意味が隠されているだろう。
それは私がずっとわだかまりとして持っていた恐怖とは別に、ファンに喜びを与えてくれるものであってほしい。
世界情勢などに言及していたキリトらしく、「唄」の力によって敵対しているもの同士が手を結べる世界がくるように、と願ってならない。
文:阿部春泥