地下に潜ったアイドルと、それを追いかけたヲタクたち-ライブアイドルことはじめ

先日発売された、地下アイドルの姫乃たまによる新書が話題となっている。
タイトルは『職業としての地下アイドル』(朝日新書)。
「地下アイドル」の名前ぐらいは聞いたことがあっても、実態としてどんなものなのかわからない人は多いだろう。そんな人たちに向け、地下アイドルとそのファンたちの実態をアンケート形式でまとめ、自身の経験から解説を加えた一冊となっている。

職業としての地下アイドル (朝日新書)

その本の一節に、地下アイドルの起源に触れた部分があった。
「1990年代前半、アルテミスプロモーションの水野あおいや森下純菜が活動を始めるとともに、それまでメジャーで活動していた宍戸留美が、初のインディーズアイドルとして地下のライブハウスで活動していた」というものだ。
もちろん、一般的な解釈としてこれは間違いではない。「アイドル冬の時代」と呼ばれる時期でもあり、テレビや大きな会場での活動がままならなくなったという事情もある。

ではこの時代、ファンはどのようにして彼女たちの情報を得、ライブに足を運んでいたのか?
そのあたりのことを、アイドルファンとして彼女たちと一緒に地下に潜った身として、記録しておきたい。

1990年代の初め、アイドルファンの主な情報交換の場は「雑誌」だった。
アイドルを取り上げたミニコミ誌が多く作られ、メジャーなアイドル誌でも読者の投稿コーナーが人気となっていた。
中でも『オリコンウィークリー』の投稿欄『オリコン通信』では、「寄稿士」と呼ばれる常連投稿者がアイドルへの思いや、独自のアイドル論を展開していたものだ。

当時私は宍戸留美のファンであった。彼女はソニー一押しのアイドルとして、メジャーで活動していた。
しかし、1992年、彼女は事務所を辞め、フリーで活動するようになる。
今思えば、それが「地下アイドル」の始まりだった。もちろん、当時はその文化がここまで広がるとは知る由もない。我々ファンは、ただライブ会場がホールからライブハウスに変わり、そこについていっただけなのだ。
意外にひとつの文化が始まるというのはそういうものなのかもしれれない。

フリーで活動するようになると、当然情報が入らなくなってきた。そんな時、ライブの告知などが届いていたのが「ハガキ」だった。
おそらくはファンの有志が彼女のライブ情報などを集め、ネットワークを持つファンに郵送していたのだ。
ネットが万能な今の時代では嘘のような話である。

ほどなくして、それらアイドルの情報網はネットワーク上に移行する。パソコン通信である。
NIFTY-Serve やPC-VANなどが有名であるが、実は地下アイドルの活躍に大きく貢献したのは、フジミックが運営していた『EYE-NET』というサービスである。
ここにはいわゆる中堅どころの良さがあり、有名アイドルの会議室(ネットワーク上で情報や意見を述べ合うコミュニティ)よりも今でいう地下アイドルのページが多く存在していたのである。
もちろん、先述の宍戸留美や水野あおいの会議室もあったし、のちに「電脳アイドル」と呼ばれるようになった千葉麗子などは、自身がよく書き込みもしていた。
これらの下地があったからこそ、インターネットが普及した時に、いち早く地下アイドル業界のネットワークが構築されたと思っている。

これがライブアイドルが生まれた頃の話である。
やがて時代はパソコン通信からインターネットに移り、アイドルの情報は驚くほど簡単に手に入るようになった。
そしてその広がりと同調するかのように地下アイドル文化も花開いていった。
私は、その最初の一滴を目撃していたようなものなのだ。
今はネットもスマホも普及していいて、便利な世の中だとは思う。しかし、ライブアイドルが出てきた頃の、何かが始まるようなわくわくした気持ちを、懐かしく感じることもまた事実だ。
そしてどんどんと広がっていくこの文化について、可能な限りその行方を見守っていきたいと思っているのだ。

文=プレヤード

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