椎名林檎によってよみがえる名曲「東京は夜の七時」に注目

先日NHKが放送した「内村五輪宣言!~TOKYO2020開幕1000日前スペシャル~」のなかで、「東京は夜の七時」が披露された。歌ったのは東京事変で浮雲として活動した「長岡亮介」、Perfumeなどの振り付けで知られるMIKIKO先生が扮する「小雨」、そして「椎名林檎」の3人が集ったスペシャルユニット「HUMAN ERROR」。

圧倒的なそのパフォーマンスに、自然に見入ってしまったという人も多いだろう。

実はこの「東京は夜の七時」という曲は、2016年のリオパラリンピック閉会式でも使用されている。椎名林檎はなぜこの曲をオリンピックに当てるのか。そして1度耳にしたら口ずさめるこの曲の魅力とはなんなのか。現代によみがえる椎名林檎ver「東京は夜の七時」に注目したい。

原曲は20年以上前の楽曲

東京は夜の七時がはじめて世に出たのは、1993年。現在から20年以上も前になる。もともとはバンド「PIZZICATO FIVE」の5枚目シングルとして発表された。作詞作曲はメンバーである「小西康陽」によるもの。テレビ番組のOPテーマにもなって話題となった。

当時の流行である「渋谷系」を表すような楽曲で、今でも渋谷系といわれればこの曲を挙げる人も多い。渋谷系とは音楽のジャンルを表す明確な言葉ではないが、「PIZZICATO FIVE」の他にも、かつては「ORIGINAL LOVE」や「フリッパーズ・ギター」が渋谷系とされていた。

最近になってフリッパーズ・ギターのメンバーであった「小沢健二」が新曲を発表するなど、渋谷系の活躍はめまぐるしい。同じくフリッパーズ・ギターのメンバーだった「小山田圭吾」の「Cornelius」や、「PIZZICATO FIVE」の3代目ボーカルである「野宮真貴」も渋谷系の魅力をそのままに活動を続けている。

椎名林檎による編曲と返詞が楽曲を現代に結びつける

その後も「東京は夜の七時」はたくさんのアーティストにカバーされてきたが、去年のリオパラリンピック閉会式を機に再び火がついた。椎名林檎という現代のトップアーティストが関わっているという点を加味しても、当時を懐かしむことができる世代ばかりではなく、まったく新しい曲として受け入れられていることにも注目したい。

椎名林檎は「PIZZICATO FIVE」の原曲に対して、編曲と返詞を行っている。作詞家としてまったく別の解釈を行うのではなく、元の詞を踏まえて、敬意を表して丁寧に「返詞」されたのだ。曲が持つ本来の魅力を腐らせないまま現代に結びつけられたのは、この返詞が大きな助力となったように思われる。元の歌詞だって十分に素敵なものだが、あえて返詞することによって、過去と現在の日本が直接つながったような気にさせてくれるのだろう。

ちなみにリオパラリンピックの閉会式で流れた曲のタイトルは「東京は夜の7時ーリオは朝の七時」になっている。

東京五輪を機にいくつもの曲がよみがえる可能性

今回のようにかつての日本を代表した楽曲が、新しい魅力を備えてよみがえることは以外にも難しい。それを可能にしているのは、椎名林檎をはじめとするアーティストたちの才能と努力の他に、東京オリンピックという超巨大イベントの存在が影響しているだろう。

オリンピックがあるから求められる。オリンピックがあるからゆるされる空気というのは確かにある。その流れに乗って、今後も「東京は夜の七時」のように復活する楽曲が出てくるかもしれない。いくつもの曲がよみがえれば、東京オリンピックは音楽の力でさらなる盛り上がりにつながることだろう。

ちょっと考えてみるだけで、東京オリンピックで披露してほしい日本の曲はたくさん思い浮かぶ。書き下ろしの新曲ももちろん歓迎だが、過去からつれてこられる楽曲にも今後は注目しておきたい。

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