宇多田ヒカル『初恋』の”盛らなすぎる”ジャケットを見て思うこと

奇跡の98年組の一人として、活動休止中もファンを魅了し続けてきた宇多田ヒカルのレーベル移籍後初となる7枚目のオリジナルアルバム『初恋』が6月27日にリリースとなる。

新曲をリリースするたびに巷を騒がせ、デビュー20年を謳わずとも既に話題となっている新作「初恋」は、さらに深く大きく広がる彼女の歌声とクリエイティビティが表されており、今までの宇多田ヒカルと、これからの宇多田ヒカルを感じさせる作品となっている。

デビュー20周年を迎え、自身の人生のバイオリズムを作品に反映し、大きくうねるように変化しているアーティスト、宇多田ヒカルの軌跡と魅力について、改めて確認しておきたい。

デビュー自体が「事件」であった宇多田ヒカル

1998年、彼女のデビューを知らない世代も増えてきていると思うが、彼女の登場はちょっとした「事件」であった。

宇多田ヒカル / 初恋

同じ98年組としてデビューしている椎名林檎やaiko、Kiroro、MISIA、浜崎あゆみなど、今も一線で活躍しているアーティストは多いが「Automatic」と共にデビューした宇多田ヒカルは、当時の日本のミュージックシーンにおいて「新しい風」であった。

当時は一大ブームとなっていたヒットメーカー小室哲哉が後年「宇多田ヒカルが僕を終わらせた」という趣旨の発言をしているが、確かに多くの人が「Automatic」を聞いたその瞬間に「時代の終わりと始まり」を垣間見たように思う。

宇多田ヒカル / Automatic

当時は「15歳」という年齢と「藤圭子の娘」という情報が先行し、彼女自身が持っている真のポテンシャルが評価されていなかった様に記憶しているが、その後も変わらずアーティスト「宇多田ヒカル」は作品を世に送り出し、その年齢や出自と関係なく「バケモノ」級のアーティストであったことが示された。

宇多田ヒカルの「浮世離れ」した活動

思えば彼女は、デビューした時からずっと「浮世離れ」していた。

デビュー当初は新人にもかかわらずタモリやダウンタウンなど芸能界の大物にもタメ口で話しかけ、人気の高さゆえに喧しい芸能ゴシップ誌にあること無いこと散々揶揄されてもどこ吹く風で、宇多田ヒカルらしい作品をリリースし続けた。

デビューしてから5年、人気絶頂の中で突然に自身のMVを監督した紀里谷和明と結構な年の差婚をしても変わらずに作品をリリースし、5年あまりの結婚生活の後、初めての離婚を経て2010年にこれまた突然に「活動休止」を宣言する。

宇多田ヒカル / SAKURAドロップス

その「活動休止」の理由は「”人間活動”に専念する」というもので、嫌でも”人間活動”せざるを得ない多くの一般人には共感しづらいもので、幼い時から芸能に身を置いている者特有の感覚であろうことを想像するしかなかった。

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人間活動中の6年間において、精神的に病んでいた母「藤圭子」に寄り添いながらも、自殺という悲劇的な結果で肉親を失い、その後自身2度目の結婚そして出産を経て、亡くなった母に向けた別れの歌「花束を君に」で2016年に活動を再開した。

宇多田ヒカル / 花束を君に

6年間、一人の人間としては十分すぎる波乱万丈な「人間活動」を経験し、一回り”骨太”になった彼女のアーティスト性を示した作品は、デビュー当時と変わらない大きな支持を集め、6年間のブランクは完全にリセットされた様に思う。

「初恋」のアルバムジャケットに見る宇多田ヒカルの姿勢

ニューアルバム「初恋」のアルバムジャケットを見て、皆さんはどう思うだろうか?

多くの人は「老けたなぁ」という感想だろうか。

雲の上の”スター”であるはずの宇多田ヒカルの顔にしては、しっかりと経年が表された、実に平均的な35歳の女性の顔であると筆者は感じる。

宇多田ヒカル / あなた

宇多田ヒカルはソロアーティストとしては割と「自分の顔」をジャケットに使いたがる方だと思う。デビューアルバムの太眉ボーンなジャケットをはじめとして、今まで出したアルバムジャケットはほとんど自身の顔を使っている。

自分の顔を使ってはいるのだが、その使い方が”ゾンザイ”というか”無頓着”というか、あまり飾り立てることをしない。今風に言えば「盛らない」のだ。それは彼女の人間性を表している様にも思う。

今回のジャケットはこれまでにも増して「盛って」いない。見ているこっちが不安になる程、全く盛っていない。オバさんと言われる年齢で、こんな血色の悪い”どすっぴん”な顔で出勤したらセクハラまがいの嫌味の一つも言われそうな顔である。

宇多田ヒカル / Forevermore

彼女はきっと「経年」することが嬉しいのではないだろうか。人間として、人間らしく自分に刻まれる経年の跡を愛しんでいる様にも思う。

デビューした時から浮世離れし、6年のブランクを経ても人気も衰えず、人から期待され支持される人生でも、他の人と同じ様に「歳を取っている」自分を確認し、そこに「人間らしさ」を感じているのだろうか。

きっと彼女は、竹取物語に出てくる姫の様に、うっかりしていると自然と浮世から離れていってしまうのだろう。彼女は一般生活を送る我々とは違って、自然と離れてしまわない様に”浮世”にしがみついているのかもしれない。

ショービズ界にいる多くの人が浮世離れしたセレブリティな生活にしがみつき、時には背景を歪ませてまで自分を盛り立てる中で、宇多田ヒカルはいつでも自然体で、地に足のついた「人間」として存在することを重要視している様に見える。

そんなことを思わせるジャケットである。

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