なぜバンギャはV系を上がるのか

このクソ寒い中皆さんお元気ですか。
毎日雪が降っていて正直気が滅入る。
気が滅入った状態でうとうととしつつ音楽を聴いていたら、「私はもうバンギャじゃないのだな」という事実にぶち当たりました。
だってライブにもいかないし音源も発売日当日に買っていない。

バンドを追っかける情熱がもうなくなってしまっている。
そこで個人的なケースをいくつかモデルにして、「なぜバンギャはV系をあがってしまうのか」と言うことについて考えてみました。
「あがる」というのは、「卒業する」と同義語だと思っていただいて結構です。

「バンドをあがる」だと、恋愛感情とかややこしいものが紛れてくるので、あくまで「V系」という概念をあがる、という話をしたいと思います。

そもそもバンギャはなぜバンギャになるのか

バンギャになるきっかけはさまざまあると思います。
たまたま観たパフォーマンスに惹かれただとか、たまたま聴いた曲がインパクトあっただとか。
そこから深みにハマるのには「曲調」と「歌詞」に衝撃を受けた人ではないかと思います。

歌謡ロック調だったりメタル調だったりダークだったり、人生をまっとうに歩んで行く上で多分一生聴かなくてもいいジャンルの楽曲(差別とかじゃないです私は大好きです)。
そこにやや偏見の入った衝撃的な歌詞が乗ると、見事に人に衝撃を与えることができます。
で、バンギャになるわけですね。

ライブに行くか行かないかはここでは重要ではありません。
バンギャには「音源ギャ」という種類が存在するからです。
音源は集めるけどバンドのライブには行かないバンギャのことをこう呼びます。
私はバンギャになるのは一過性の中二病みたいなものだと思うのですが、バンギャのオタク率が高いことからもこの説は信憑性あると思います。

V系を聴き続けるのは正直疲れる

歌詞や曲調に深みを求めたバンギャは、めちゃくちゃ音源を聴き込むことになります。
そこに書かれているのはいじめだったり風俗だったりストーカー行為だったり悲恋だったりします。

初めはいいんですよ。そういうの珍しい!っていう気持ちで聴ける。
しかし、何年もそれを続けていると、ふと自分の耳に限界がきていることがわかるんですよね。
ダークだったりメルヘンなものを聴き続けるのは正直しんどい。

自分の悩みを代弁しているかのようだ、と思っていた歌詞も、成長によって「思い出」に変わっていきます。
リアルタイムの感情じゃなくなります。
そうなると、「好きだけどたまに聴くぐらいでいい」となります。

メンバーだって歳をとる

そして、バンドのメンバーもリアルの時間は流れていき、歳をとります。
別に見かけが劣化するとかそういう話じゃないです。

これかなり重要な問題なんですけど、メンバーが20代の頃にブレイクした曲を40代後半になって同じ気持ちで歌ってるかっていったら違うと思うんですよ。
バンギャの心境が変わるように、メンバーだって心境の変化はあります。

そうなると歌詞や曲調も変わる。
ここで3曲、私が「正直メンバーとしては製作当初の気持ちで演奏できないんじゃないか」って思ってる曲を紹介します。

「シド/吉開学17歳(無職)」

「ムック/大嫌い」

「PIERROT/脳内モルヒネ」

どれもライブで人気のある曲ですけど、まあ…お察し。
そうなるとバンドの方向性としては、より演奏していて負担がなく、その時代に合わせたかっこよさを求めるようになります。
それがバンギャの「ハマりたて」時代に求めていたものとずれていくわけですね。

一緒に成長した、と思えればいいんですけど、ライブとかではやっぱりヒットした昔の曲を求めてしまうのがバンギャの習性です。
そうなるとずれの中で位相を修正できず、「取り残された」感が生まれたり、「あの人変わってしまった」感が生まれたりします。
これが「あがる」要因の一つになります。

自分だって社会に適応しなければいけない

中学生や高校生でバンギャになって、その時は楽しくても、いずれ社会人になります。
そうなると「協調性」というものが求められますね。

カラオケなんかでバンギャ同士集まってV系ばかり歌ってるわけにはいかなくなります。
新年会や忘年会や会社の飲み会でカラオケに連れ込まれた時に、V系しかレパートリーがないなんてことは基本的に避けたい。(この辺オタクの「アニソンしかレパートリーがない」問題と一緒です)
となると、J-ROCKやJ-POPをいくらか積極的に聴くようになります。

そして、人間的に成長してるもんだからそれらの楽曲にも「良さ」を見出すことができるようになるんですね。
そうなると、あえて人の好き嫌いが激しいV系を選んで聴き続ける必要もなくなります。

そもそもV系というのは、私の中では一種の「精神安定剤」のようなものだと思っています。
思春期なりなんなり、その時期どうしても欲しい言葉や肯定、周囲と違うという特別感を演出するための安定剤。

これは成長して「私も周りとなにも違わない」と感じれば、必要のないものとなるわけです。
この場合の「あがる」は、非常に健全ですね。

別に卒業する必要なんてないのでは?

つらつら書いてきましたが、別にV系をあがる必要、というのはどこにもありません。
好きなものは好き、でいいと思います。

ただ、好きなものに対して心持ちが変わったり、視点が変わったりするとそれが「あがった」ということになるのでしょう。
「元バンギャ」に敵愾心を抱くバンギャも少数ですがいます。

そういう人は「若いねー」の一言でスルーしときましょう。
また、何がきっかけでバンギャに戻るかはわかりません。
私だってPIERROTが復活した時はライブに行ったよ。

なので好きなものは「私はこれが好きなんだ」という気持ちを大事に生きていきましょうね。

文=阿部春泥

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