ビートルズを日本に呼んだ男

音楽の聖地、日本武道館。ミュージシャンなら誰もが憧れる会場ですね。
ところでみなさんは、その日本武道館で最初に公演をしたアーティストを知っていますか?

THE BEATLES

そうなのです。日本で最初に武道館公演を行ったのはビートルズなんです。
1966年6月30日から3日間、3公演。
日本中の若者に熱狂を与えました。

では、ビートルズ日本公演はどのような経緯で決まったのでしょうか?
そこに迫って見たいと思います。

呼び屋「永島達司」

1966年春、1本の電話が共同企画の青年社長、永島達司のもとに掛かってきました。
相手はヴィック・ルイス。5人目のビートルズとまで言わしめた、ブライアン・エプスタインのパートナーです。
「ビートルズが日本に行きたがっている。やってくれないか?」

しかし、ビートルズはその当時、1公演で10万ドルというスーパースターです。
「絶対に損はさせない。」とルイスは言いますが、前代未聞の興行を永島はできる気がしませんでした。
しかし、エプスタインから直接交渉を求められ、3ステージ10万ドル、チケット代はLP1枚が買えるぐらいの値段(6ドル)という破格の条件を提示されました。

この条件は当時高度経済成長真っ只中の極東のマーケットを開拓するためのエプスタインの戦略だったという説、コンサートに嫌気がさしているメンバーだったが、ジョン・レノンの好きな日本だったら行くのではないかという説がありますが、残念ながらエプスタインが翌年急死してしまいますので、真相は藪の中です。
会場は1万人規模を収容できる屋内施設。その当時は日本武道館しかありませんでした。

ベートルズとか言う連中に武道館は使わせん!

ビートルズを日本に呼んだ男

ビートルズ公演主催の読売新聞社主の正力松太郎の発言です。
主催がこう言った発言をするくらい、世論はビートルズなんかに武道館を使わせるな!という風潮が強くなります。
また、神聖な武道館で不良の音楽をするなんて汚らわしいといった右翼の反対運動も起きました。。

今でこそ信じられませんが、当時のビートルズは「不良の音楽」とされていました。
そこで永島は、後楽園球場を代替会場として提案するも、ビートルズサイドがNG。

そこで、苦肉の策として、女王からの勲章を授かっている、英国の国民的音楽使節に武道館を使わせて欲しい。という交渉を日本武道館にします。
その後、読売新聞に、日本武道館理事長の赤城宗徳の声明が発表されます。
「武道の殿堂であり、青少年の心身育成の場であるので再三お断りしましたが、主催者側はもとより、英国側からも重ねて強い要請がありましたので、諸々の情勢を検討した結果、その使用を許可することになりました」

コンサートスタッフは警察官!?

ビートルズを日本に呼んだ男

1966年6月29日。ビートルズが羽田空港に到着しました。
あまりの騒動が巻き起こってしまう可能性、また、反対勢力によるテロの可能性も考えて、永島は警察に協力を要請していました。
厳重な警備をしても良いなら協力をするという条件のもと、入国審査を空港内で済ませ、ゲートを通らずそのまま高速へ。首都高速は閉鎖というものでした。

エプスタインが景色を見ながら「日本は車が走ってない」という感想を言うほどでした。
もちろんメンバーは東京ヒルトンホテルに軟禁状態。皇居を見に行こうとしたポール・マッカートニーが5分で捕まるというものでした。

コンサート当日。観客8,500人に対して警官と機動隊1,700人。装甲車40台、ジープとパトカー70台という厳重な警備で備えました。
アリーナに客席はなく、スタンド席には2メートルの柵と、飛び降り防止の警備員(警察官)を配置。
ビートルズを日本に呼んだ男

「足の一本ぐらい折れても構わないから、ステージに飛び乗りたい」というファンの熱狂ぶりに考慮してのことでした。

コンサートはマイクのトラブルや、観客の絶叫などにより最悪の状態でした。
また、アイドル視されること、叫んでばかりで自分たちの演奏なんかろくに聞いてないことなどにメンバーは嫌気がさしていました。
そして66年10月ビートルズは今後ツアーをしないという発表がされます。

公演自体は良くなかったとしても、いろいろなその後のタイミングを考えると、ビートルズ日本武道館公演は奇跡だったのではないでしょうか。あの熱狂を生で見ることができた人たちは何かが変わったことでしょう。
もし、ビートルズが日本に来ていなければ日本の音楽シーンは全く別のものになっていたと思います。
そして武道館は音楽の聖地にはなってなかったかもしれません。

(株)キョードー東京

この公演の後に永島達司は社名を(株)キョードー東京とします。
日本で初のプロモーター会社が誕生しました。

その後キョードー東京は、海外公演をウドー音楽事務所に引き継ぐまで、次々と大きい興行を行っていきます。

ビートルズを日本に呼んだ男

そして2017年4月25日ポールマッカートニーが日本武道館に帰ってきました。主催はキョードー東京です。
永島達司は残念ながら1998年に亡くなっていますが、彼のスピリットを継承したプロモーターたちが、ポールをもう一度武道館のステージにあげました。
きっと永島はニヤニヤと笑いながら、その公演を見守っていたことでしょう。

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