一人の少女がオーケンと出会って人生をエンジョイするようになった話

一人の少女がオーケンと出会って人生をエンジョイするようになった話

諸君、私は大槻ケンヂが好きだ。
いつ好きになったのかははっきりしている。
どうして好きなのかがよくわからない。

せっかくなので、この場を使って彼のどこに惹かれているのかを考えていきたい。
この思考をクリアした頃には、より一層オーケンの魅力に気づけるはずなのだ。

この人は何者なんだ!?初めての出会いはTV出演

暴いておやりよドルバッキー/筋肉少女帯


私は幼い頃からオカルトや不思議な話が好きだった。

小学生高学年からUMAやUFOの特番があると必ず観るようになり、心霊番組の時期は恐々ながらも帰宅する足を早めたものだ。
そうして出会ったのがオーケンだった。
それはビートたけしが司会をする超常現象スペシャルの番組だったと思う。
うねった長髪、顔のひび割れメイク、黒服。

話すこともなんだかとんでもないことを言っている気がする。
え、この人何者!?!?
だがしかし、ファーストコンタクトはこれだけで、私はそれ以上彼に深入りしなかった。
まだまだ音楽よりUFOが好きなお子様だったのである。

セカンドコンタクトは図書館で

タチムカウ-狂い咲く人間の証明-/筋肉少女帯


この頃、テレビの歌番組のCMでは、筋少の「タチムカウ-狂い咲く人間の証明」がよく流れていた。
しかし私の中にまだ筋少=オーケンという図式はなく、なんとなくの流し見。

本当にオーケンと2度目の再会を果たすのは、市立図書館であった。
受験生となった私は友人と勉強のために図書館に行ったのだが、そこの貸し出しCDに筋肉少女帯があったのだ。
流石にその頃ともなると「オーケンが筋少のボーカル」という認識はなんとなくできていて、少々ためらったが借りることにした。
その時借りたのが『筋少の大車輪』と『レティクル座妄想』である。

今思うとそんなもん図書館においていちゃいけないのではないだろうか。
初めて聴いたオーケンワールドは衝撃だった。
まずこの二枚のうちどちらから聴いたかというと、『筋少の大車輪』だ。
ジャケットが気になりすぎた。

そして、「これでいいのだ」、「サボテンとバントライン」のあたりで繊細な思春期の心は揺れた。
「こんなことを表現した音楽があるの!?!?!」あとは夢中で最後の「パンクでポン」まで一気に聴いた。
その勢いで『レティクル座妄想』を聴いてさらに衝撃を受けた。

コンセプト・アルバムという言葉を知らない少女がそんなもん聴いたらどうなるかおわかりであろう。
収録されている「レティクル座の花園」では号泣した。
その後私は受験をPIERROTの「HUMAN GATE」と筋肉少女帯の「ノゾミ・カナエ・タマエ」で乗り切ることになる。

高校入学したらやっぱり図書室にオーケンが!

221B戦記/筋肉少女帯・水木一郎


さて、受験に成功したもののいじめられっ子はどこでもいじめられっ子だった。
昼食を食べる場所がないので、私はその時間図書室に行くことを選んだ。

司書の先生は優しく、「お弁当を持って来てもいいよ」と言ってくれた。
もちろんデブらしく早食いのため、残った昼休みは図書室の本を物色することになる。
そこで…あったんですね〜、オーケンの本が。

初めて手に取ったのは「オーケンののほほん日記ソリッド」であった。
当時比較的良く読書をする子供ではあったが、人の日記を読むことは初めてだった。
そしてやっぱり衝撃を受けた。

これはぜひとも私の追体験をして欲しいので詳しい内容は書かないが、一箇所だけどうしてもご紹介したい部分がある。
1996年の冬、12月20日にオーケンは田舎の方から出てきたというガキ(本文ママ)と新宿御苑に行く。
そこで、ガキに今度書く小説のネタを話すことになる。

これは本当にそれをネタに小説を書くわけではなく、物事をごまかそうとした結果そういう風になってしまった。
そのネタの中でオーケンは、「戦争の話」を展開させる。

兵士が死に際、ドラえもんに「なにかひとつ欲しいものをやる」と言われる。
兵士が選んだのはタケコプターである。
死にかけの兵士は頭にタケコプターをつけて、ぴゅるぴゅると故郷へ向かう。
眼下には累々の死骸。仲間もいる。
それでも兵士はタケコプターで故郷へ向かうのだ。

そしていつかタケコプターはボンクラ兵士の死体を故郷へ連れて行く…。
いやー、この話、サードインパクトでしたね。
こんなこと誰が考え付くんだ。

ガキの「どこでもドアを出してもらえばいいじゃん」というツッコミのオチがついているのもいい。
そう、ここで私は完全なるオーケンファンになってしまったのである。

追っかけようにも追っかけるバンドがない!どうすればいいの!?!?

もうがまんできない/大槻ケンヂ


その後私はオーケンのファンだと自覚したわけだったが、困ったことにそのころすでに筋少は活動を停止していた。
しかもオーケンの脱退で停止していた。

リアルタイムで追いかける対象がないのである。
それでも私は幸運だった。
オーケンが過去のCDだけではなく、執筆活動をずっと続けてくれたからである。
私は「音楽の方はゆっくり集めよう、中古屋見てもプレミアついてて高いし」と思考を切り替え、「物書きオーケン」を追いかけることになる。

それはエッセイが中心だったが、「リンウッドテラスの心霊フィルム」などは詩集で、「くるぐる使い」、「新興宗教オモイデ教」は小説だった。
すごかった。圧倒された。

ミュージシャンに対してこんなことを思うのは失礼かもしれないが、「書いた本さえ読めればいいかな」と思うぐらいだった。
そしてばっちり影響された。
私のちょっと偏執的な江戸川乱歩愛はオーケンからの影響だ。

映画もオーケンが学生時代よく観たというから好きにならねばと努力した。
邦画より古い洋画を観るようにした。

エッセイによく登場するプログレバンドやロックバンドはなるべく聴こうとしたのだが、当時はyoutubeなど発達しておらず、田舎の図書館やレンタルショップにはなく、これが叶うのは東京に出てからである。
棉が水を含むように、私はオーケンを形作っているものをどんどんと吸収したのである。

その時水が赤ければ棉が赤くなるように、思想にも影響された感は否めない。

ライターの道を選んだのは何故なのか?

仲直りのテーマ/筋肉少女帯


実は私がライターの道を選んだのは、オーケンにインタビューしたかったからなどではない。
なんというか、失敗の尻拭いをしなければという残念な気持ちでいちから勉強しようと学校に入学した。

そしたら、その年筋肉少女帯が復活した。
いやーびっくりした。
しかも、武道館公演を控えた「筋少のオーケン」にFAXインタビューをしてくれないかという依頼がきた。
頑張った。

これ裏話なんですけど私の質問が悪かったのか忙しかったのか、質問に対する答えが一言ずつで全く記事にできなかった。
「えーいこれぐらいの脚色オーケンだってやってるだろ!!!」と膨らましに膨らまして書いたら文字数ぴったりで事務所の方からも「コミックバンドをコミカルなバンドに直していただければOK」と言われてなんとかなった。
そしてその後、卒業記念のような冊子を出すのだが、そこで私は迷った。

その頃には取り上げたいアーティストが三組に増えていて、どうやって絞るかを完全に見失っていた。
そのうちひとつは、過去論文まで書いてしまったアーティストだったが、学校の先生から「過去のバンドに触れられるのは今はまだ嫌だと思う」(私はその過去のバンドのファンだった)ということでNG。
もう一本はインデイーズアーティストだったが、そつなく書く自信もあったのだが、情熱が足りないと判断して自分でボツにした。

どうせ全国に発信するなら、自分の悔いがないように書きたかったのだ。
その為、題材はまたもオーケンになった。

この冊子はロングインタビューが目玉だったのだが、初めからそれには期待していなかったので、「インタビューには対応できませんがコラムならチェックします」との言葉に小躍りした。
そして出来上がった冊子は、事務所から一度のNGも出ることなくすんなり通り、全国のCDショップに置かれ、私の「一種やり遂げた感」を増長させた。
そしてしばらくライターからは遠ざかることになる。

あの時「オーケン」と出会っていなければ今頃

ゾロ目/筋肉少女帯


最近ふと考える。
私はオーケンに出会っていなかったらどんな人生を送っていただろう?
エッセイを面白いと思うことはなく、読書遍歴は偏っていただろう。

江戸川乱歩を愛することもなかっただろう。
アニメと漫画は好きだったからそちらの道を真剣に選んだかもしれない。
「もし」を数えるとキリがない。

高校の卒業文集にクラスメイトが書いた「10年後の阿部さんは大槻ケンヂと結婚していると思ワレ。」という一文が眩しい。
阿部さん10年とっくに経ったけどオーケンとすれ違いもしてないよ!!!

でも一生好きなんだろうなあ。
何故好きなのか、はわからなかったけど、オーケンの記事が書けたのでそれでいいや。

文=阿部春泥

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